神の真相(3)5

5ヨーガの本質

(1)ヨーガと人体の関係

インドと言えばヨーガである。

4(3)ではサーンキヤ哲学について詳細に述べたが、この項では原始タントラの直系とも言えるもう1つの哲学、ヨーガ哲学について検討する。

ヨーガ哲学とは、サーンキヤ哲学の中心に神を据え、自我の欲望を滅し、宇宙と一体となる実践的システムである。

ヨーガの基本は、神話にもしばしば登場してきた修行、苦行である。

この実践方法については大きく2つの流れがあり、

1つは顕教としてのラージャヨーガ王者のヨーガであり、

もう1つは密教としてのハタヨーガである。

前者は、ひたすら欲望を無くすことを主眼とし、欲望から解脱することで悟りを開く。

このヨーガの実践者をヨギンと言い、マントラを唱えながら実践する。

釈迦が行っていたのは、このヨーガである。

ラージャヨーガの経典とも言うべきヨーガスートラスートラとは教典のことには八支ヨーガと言われる修行の8つの階梯禁戒、歓戒、坐法、調息、制感、凝念、静廬、三昧が記されている。

消極的な修道の概念であるニローダ積極的に鎮め封じることの意から、心の動きを抑止することを標榜し、哲学的追求に重きを置いた形而上学的修道論である。

これに対して、ハタヨーガはサーンキヤ哲学に基づき、俗的な属性であるプラクリティの否定によって聖なるプルシャとの合一を目指す。

そのため、ラージャヨーガのような階梯を踏まえず、一気に三昧ざんまいに至る方法である。

ラージャヨーガよって顕現したパワーを使い、俗的な世界を積極的に聖化させ、神との合一を図る。

このようなハタヨーガは神秘思想とも言うべきものであり、仙人の概念へと発展し、道教密教、禅の根源となった。

ヨーガでも師のことを導師グルと言う。

タントラでは、実際の身体に対して微細身体と呼ばれる存在を想定する。

これは、肉眼では見えず、触れることもできない。

しかし、肉体と同じ形、大きさであるとされる。

微細身体には、脊椎に沿って7つの霊的中枢があると考える。

この霊的中枢をチャクラと言う。

チャクラとは輪という意味で、ヨーガを極めし者には、霊的中枢が円形に見えるらしいことから、このように言われる。

ィシュヌが持っている円盤もチャクラである。

また、微細身体は大宇宙に対する小宇宙を象徴する。

チャクラとは、人体を小宇宙に見立てた場合、

人体の中心を貫く7つの中枢のことでもある。

ハスラーラ頭頂、

アジナ眉間、

ビシュター喉、

アナハタ心臓、

マニピューラ臍、

スワディーナ丹田

ムラダーラ会陰。

チャクラはアダムカドモンと対応し、背骨に沿うセフィロトだけでなく、左右のセフィロトを中心に合わせた7段階を示す。

生命の樹に於ける慈悲の柱は陽、峻厳の柱は陰であり、均衡の柱は両者が一体となった太極を表す。

それ故、慈悲の柱、峻厳の柱にある同じ高さのセフィロトは、均衡の柱に於いて1つに統一することができる。

これは、イナンナの冥界下りで述べた生命の樹の7段階である。

ケテル頭頂、

ビナーコクマー左右脳、

ダアト喉、

ゲブラーケセド心臓、右心房右心室、左心房左心室

ティファレト太陽神経叢、

ホドネツァク両足、

イエソド会陰。

マルクトは足の裏のツボ湧泉として隠されており、脊椎には関与していない。

また、アダムカドモンの頭部も示しており、顔のカッバーラも構成する。

マルクトは喉として、顔の外にある。

ケテル頭頂部、

ビナーコクマー両目、

ダアト第3の目、

ゲブラーケセド両耳、

ティファレト鼻柱、

ホドネツァク両鼻孔、

イエソド口。

頭頂サハスラーラ以外のチャクラはマハットと五大にも対応している。

ハスラーラは頭頂部から少浮いた箇所に存在するので、微細身体に於ける実質的な最上部のチャクラはアジナである。

ムラダーラ地四角形、

スワディーナ水三日月、

マニピューラ火逆三角形、

アナハタ風六芒星

ビシュター空円形、

アジナマハット、

ハスラーラ無し。

さて、7つのチャクラに大宇宙から絶対的エネルギーであるプラーナが降りると、チャクラの門が次と開いて覚醒する。

すると、ムラダーラチャクラで眠っていた生命の根源エネルギーが覚醒し、大宇宙の真理と一体化するために脊椎を上昇する。

そのエネルギーをクンダリーニと言い、3回転半のとぐろを巻く神蛇で象徴される。

現在流布しているヨーガでは、次のように解釈されている。

まず、呼吸を整えることにより、空間に充満している特殊な宇宙エネルギープラーナを取り入れる。

これは気オーラなどとも言われる。

そして、ヨーガの独特なポーズにより会陰部を刺激し、ムラダーラのクンダリーニを活性化させる。

クンダリーニにはとぐろを巻いた蛇がいることをイメージし、そのとぐろを解きほぐすように、意識によってクンダリーニを脊椎に沿って上昇させる。

上昇は熱さや振動として感じられる。

上昇できるまでは、精を漏らしてはならない。

最終的には、頭頂のサハスラーラまで上昇させる。

クンダリーニは神妃シャクティ、サハスラーラはシァであり、両者の神秘的な結婚により梵我一如を達成する。

ハスラーラまで上昇したクンダリーニは、体の正中を通してムラダーラまで戻し、クンダリーニを体内で循環させる。

これを大周天と言い、これを達成できれば超人聖仙、仙人となる。

つまり、ヨーガにより体を柔軟にし、体内の霊的エネルギーの流れを良くすることにより、締め付けられているチャクラが開くようになる。

そして、クンダリーニとプラーナが体中に行き渡ることにより、超人になれると考える。

カーマでは、クンダリーニの活性化のために、性愛を利用する。

男女が共に行うことにより、シャクティとシァの完全なる合一を達成できると考える。

しかし、これは誤った解釈であり、本来の解釈は次のようになる。

プラーナとはカッバーラに於ける雷の閃光の象徴であり、頭頂部から順にセフィロトであるチャクラを降下し、ムラダーラに達する。

そこから、今度は上昇する。

上昇する神蛇は3回転半のとぐろを巻いているので、生命の樹に絡まる蛇で

ある。

つまり、チャクラはあくまでも大宇宙の真理を人体に喩えたものであり、大宇宙の真理と一体化するためには、生命の樹の奥義を知る必要がある、ということである。

決して、肉体の修行や性愛に溺れることを言うのではない。

また、プラーナの通り道を気道ナーディーと言う。

ナーディーは血管や神経のように張り巡らされ、72000にも達すると言う。

その中で最も重要なのは3本ある。

脊椎を貫くスシュムナーを中心に、

体の右半身から脊椎に絡みつくピンガラ太陽のナーディーと

左半身から絡みつくイーダ月のナーディーであり、

太陽と月に象徴されるように、右が陽、左が陰である。

左右のナーディーは、アジナチャクラから伸びている。

これは、人体としては脊椎を中心とした中枢神経と自律神経を示しているが、アダムカドモンを正面に向けた時の、三柱の位置に相当する。

そして、3本のナーディーの交差点にチャクラが存在し、生命の樹に於ける三柱が1本に統合された時のセフィロトの状態を示している。

つまりチャクラとは、人体のすべてが生命の樹で成り立っていることを象徴している。

あるいは逆に、人体の構造が大宇宙に通じる構造であることから、神界に通じる奥義を生命の樹として象徴したとも考えられる。

(2)チャクラの本質

このように、チャクラは生命の樹に於けるセフィロトを統合したものであるから、これまでに見てきたような各セフィラの性質と少異なる。

チャクラは3本のナーディーの交差点にあるため、締め付けられた状態になっている。

ヨーガによってチャクラが覚醒すると、開花した蓮華として象徴される。

各チャクラの蓮華の花弁の数と色は、次のようになっている。

ハスラーラ1000枚光、

アジナ2枚白、

ビシュター16枚薄紫、

アナハタ12枚金、

マニピューラ10枚青、

スワディーナ6枚朱、

ムラダーラ4枚赤。

花弁の数や図形には、様な意味が込められており、いろいろな解釈がある。

ここでは、飛鳥氏が紹介しているアレクサンドリアフィロンが使ったゲマトリアを主に紹介する。

ムラダーラ

花弁は4枚。

4はメルカバーの象徴であり、完全数10の潜在的な状態である。

それは、123410となるからである。

すなわち、生命の樹に於ける10個のセフィロトを上昇していく最初のセフィラということを暗示していると同時に、眠れるクンダリーニである。

インダスでのメルカバーは、具体的には次のようになる。

ブラフマーはィシュヌの臍から誕生したので、ブラフマーの玉座はィシュヌであり、ィシュヌは多くの人間の化身を持つから、ブラフマーの玉座は人間と見なせる。

ィシュヌはガルダに乗って天空を駆け巡るが、ガルダの頭と嘴、翼、爪、足は鷲であるから、ィシュヌの玉座は鷲である。

シァの乗り物はナンディンという雄の聖牛だから、シァの玉座は牡牛である。

更に、ドゥルガーがィシュヌの口とシァの第3の目から発せられた光から生まれた、という説をとれば、ドゥルガーの乗り物は獅子であるから、ィシュヌとシァの共通の玉座は獅子である。

つまり、三神一体により人間、鷲、牡牛、獅子が玉座として登場し、メルカバーが完成する。

四角形はメルカバーでマハットと五大に対応し、逆三角形はイエソドを頂点とする下層世界の存在を象徴している。

スワディーナ

花弁は6枚。

633で、3は三角形である。

三角形は上向きで男性原理陽、下向きで女性原理陰を表すから、6はこれらの結合で陰陽の合一を象徴する。

また、マルクトから上昇した場合、ここから慈悲の柱と峻厳の柱に分岐する。

それぞれの柱には3個ずつのセフィロトがあるから、それも象徴している。

三日月はマハットと五大に対応する。

マニピューラ

花弁は10枚。

10は生命の樹に於ける10個のセフィロトの数である。

これと対応するセフィラはティファレトであるから、逆三角形はティファレトを頂点とする中高世界を象徴し、マハットと五大にも対応している。

アナハタ

花弁は12枚。

12は天球の星座、月数、アダムカドモンの臓器数心臓、2個の肺、2個の腎臓、肝臓、胆のう、膵臓、腸、食道、胃、膀胱などを象徴しているが、大元は王位継承順位のあるシュメールの神の数であると同時に、ニビルを含めた太陽系の天体の数である。

勿論、十二支族、12人の使徒の予型でもある。

合体三角形は、慈悲の柱と峻厳の柱の合一陰陽の合一を示す六芒星であり、両柱のセフィロトの合計数でもある。

六芒星の見方はいろいろ可能であるが、アナハタはティファレトよりも至高世界側にある。

そのため、ケセドとゲブラーを底辺とし、ケテルを頂点とする至高世界への三角形と、イエソドを頂点とする中高から下層世界へ至る逆三角形の合一と見なすと、マルクトを除いた微細身体に対応する。

ビシュター

花弁は16枚。

微細身体にマルクト足下を加えると、立ち上がった時の完全な人体となり、中心には全部で8個のチャクラセフィロトがある。

男女それぞれ8個で、陰陽の合一で16となる。

また、十六弁八重表菊紋のように、復活、再生を象徴する。

他に、1688で、人体の立体的表現である正八面体が2個男女の合一陰陽の合一を象徴する、という説もある。

これは、おそらく人体をプラトン立体に喩えた場合の考えに由来するものであろう。プラトン立体とは、その表面を囲む全ての面が同じ形の正多角形で、各頂点への辺と面の繋がり方も全く同じになっている三次元図形のことであり、正三角形4枚の正四面体、8枚の正八面体、20枚の正二十面体、そして正四角形6枚の正六面体、正五角形12枚の正十二面体である。

8個のチャクラを頂点とした場合に対応するのは、正八面体である。

また、1644である。

4はメルカバーの象徴であるが、エゼキエル書によると、メルカバーを構成する4つの獣には、それぞれ4つの顔があったという。

そうすると、顔の数は全部で16個となる。

ビシュターは隠されたダアトに相当し、ここから先上が神界であるから、ビシュターは神界への門であり、絶対神の玉座メルカバーが位置する。

ビシュターは隠された知識であるから、逆三角形は神の降下陰と人間の知識を試すことを意味する。

小円は、至高世界への限られた通路を示す。

他に、正八面体の元ネタには、次のようなものも考えられる。

人体をプラトン図形で表すと、

正四面体が上下に合わされた形となり、星型二重四面体と言う。

そして、チャクラを活性化し、

この星形二重正四面体のフィールドが回転した状態を

Markaba(マカバ)と言う。

これは、現在のリアリティーに於いて、

他とは比べるものが無いほど役に立つ物となる。

マカバは高次元の意識と結び付けてくれ、

無限の可能性を秘めた記憶を回復させてくれる。

そして、次元移動も可能とする乗り物の役目までも果たしてくれる。

このマカバを回転させることにより、

バランスの取れた個人の内外的な世界を形成することが出来るわけである。

マカバを回転させるには、その本人の意識レベルがとても重要である。

星型二重四面体は正八面体ではないが、

神聖なるプラトン立体にこじつけている。

フィールド、リアリティー、高次元、次元移動、意識レベル、などという単語から、チャネリング由来であることは明白である。

ドランァロメルキゼデクやプレアデスとのチャネリングである。

マカバMarkabaメルカバーのことであり、

メルカバーとチャクラの解釈を完全に誤っている。

アジナ

花弁は2枚。

211であり、陰と陽の合一そのものである。

また、ケテルから降下すると、ケテルからコクマーとビナーの2つのセフィロトが分離していることである。

逆三角形は、ダアトを頂点としてコクマーとビナーを底辺とするから、ビシュターと同様に至高世界からの神の降下を示す。

また、このチャクラこそが、第3の目であり、

開くと千里眼になると言われている。

ハスラー

花弁は1000枚。

1000101010で完全数10の3乗で三神が生命の樹に於いて一体となることを示す。

三峰は3つの山三神を表すと同時に、ケテル、コクマー、ビナーで形成される上向き三角形を示し、アジナの逆三角形と合わせた陰陽の合一を示す。

また、サハスラーラに相当するケテルは言語的に王冠を意味するので、三峰の形は王冠の形となっている。

ここまで見てくると、究極的なタントラのシンボルは、陰陽の合一を象徴した六芒星ダビデの星であることは、自明であろう。

チャクラが本来意味するものとは、このようなことなのである。

よって、真の解脱者は肉体的修行を行わず、性愛に溺れず、薬物も使用しない賢者のことである。

なお、体の負担にならない程度にヨーガを行うことにより、体を柔軟にして呼吸を整えておくことは、肉体的にも精神的にも悪くないことなので、ハタヨーガは容認されているのである。

しかし、肉体のヨーガでは、決して真の悟りを開くことはできない。

なお、太陽神スーリヤが祀られているスーリヤ寺院などの基壇に彫られている車輪には、8本のスポークが伸びているが、これは8本のパスが集まっているティファレトを象徴しており、至高世界を示す日輪へと通じる。

よって、このような車輪を天の雲の車輪ケルビムと言う。

この原型は、八角形で象徴されるニビルであり、救世主の象徴でもある。

スーリヤは7頭の馬が引く16個の車輪が付いた戦車に乗って飛翔するという。

7はメノラーとチャクラの数で生命の樹の象徴である。

16はエゼキエル書に登場するメルカバーの顔の数であると同時に、4つの方向に移動できる車輪を内包した車輪が4つあるという、メルカバーの車輪の数でもある。

よって、スーリヤの戦車とは、

エゼキエル書に登場するメルカバーそのものでもある。

チベット密教の無情瑜伽タントラは暗黒の性愛に溺れているし、

山伏や禅は無意味な修行である。

いずれも、タントラの解釈を誤り、道を踏み外した産物である。

すべての人が修行に走ったら、世の中はどうなるのか。

坊主どもは、人にはそれぞれの役割があると説くが、そこには自分たちこそ選ばれた人間であるという自負心が隠されている。

自分たちだけが修行し、救われれば良いのである。

日本に於いても、坊主どもが行っていた無情瑜伽タントラの1つに少年愛同性愛がある。

それは稚児である。

稚児のイメージは、儀式のために可愛く着飾った子供たちである。

しかし、元はそうではない。

稚児にはいろいろな種類があるが、頭を剃髪しない稚児がそれに相当する。

坊主どもは、目を付けた稚児に、

ある時期になると稚児灌頂かんじょうを授けた。

そして、稚児を観世音菩薩の化身と見なして交わり、

自分たちの性的はけ口の道具としたのである。

灌頂を受けた稚児は〜丸という名が付けられた。

稚児の上限は17〜19歳ぐらいまでであり、

稚児としての生活は4〜5年ほどのものであった。

このように見てくると、仏教の教えや菩薩、観音などの概念が、

如何にいい加減で誤ったものであるのか、よく解るだろう。

信仰したところで、救いなど、あり得ないのである。

そもそも現在の仏教など、仏像や位牌、

お題目などを有り難がる偶像崇拝に他ならない。

このような宗教により葬式をされたところで、浮かばれることはない。

また、神道系では真光まひかりなどという神の光を人体に入れる行為が成されているものがかなりある。

これも、プラーナを誤解したものに他ならない。

日本には天台系真言系など様な密教思想が入り込んでいるが、

神道のカッバーラにより真相は秘守されている。

しかし、神界の奥義に近づこうとしたものの、

理解できずに墜ちていった者が数知れずいる。

そのような者たちによって、このような誤解が広められていったのである。

この系統の新興神道は、

明治の出口なお王仁三郎を起源とし大本教

岡本天明ひかり教会から派生したものである。

岡本は日本神界からの声を自動書記により記録し、

日月ひつく、ひふみ神示として残した。

日本神界などというのも、ここまでのことを理解していれば、あり得ないということは明白である。

霊能などというものには、くれぐれも騙されないようにすることである。

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